太公望と餌

投稿者: | 2013年8月9日

毎日暑い盛夏。ということで閑話を一つ。

日本での釣りは食のため魚をとる手段として先人時代から存在し、遊びの釣りは平安時代からあったといわれている。江戸時代になって遊びの釣りは武士の間で人気となり、それが庶民の間にも広がった。

17世紀に入ると加賀藩や庄内藩では、釣りと武道の関係を前面に出した。娯楽としてではなく精神や身体の鍛錬として釣りをした。彼等は剣術の稽古試合の如く「今日の勝負はいかがでござった」と話していたという。

また「名竿は名刀より得難し」とは武士の間の流行語にもなっていたという。娯楽の少ないこの時代、武士が軟弱な遊芸にひたるよりは良いと藩主たちは考えていたのだそう。

太公望

一方、中国では釣りは常に兵法家あるいは武士と関係づけられている。なぜなら中国で釣人の本家と目されている太公望は、国の統一を果たした兵法家であったからである。

池のほとりで釣りをしていた太公望と兵法の師を求めて旅してきた文王との出会い。太公望は天下を支配する技術は釣りの極意に一致しているという。

池のほとりで釣りをしていた太公望と兵法の師を求めて旅してきた文王との出会い。太公望は天下を支配する技術は釣りの極意に一致しているという。

小さい魚には小さい餌。中くらいの魚には中くらいの餌。そして大きな魚には大きな餌を投げてやれば必ず食いつく。餌に食いついた家臣は糸に引かれて君主に服従する。太公望はここできわめて現実的な家臣操縦術を伝授している。

問題は餌である。彼は釣りによって魚を得るのではなく実は人を得る方法を言ったのである。最高の餌は「礼」。最強の軍団を築くための最高の餌とは何か。太公望はそれは「礼」であるという。金でも地位でも命でもない。文王も太公望を自国に迎えるにあたって「三顧の礼」をもって遇した。

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